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山に還りたい尼子です!
旨い魚が喰いたくて米子の兄ぃことPINO兄に
連絡したんだけど、やはり山に行きたくなって、
ダイナミックに変更してもらいました!(笑)
本日のメンバー(笑) LtoR
トシ元帥、ツジ理事、尼子、PINO兄ぃ
本日の詳細な行程やツジ理事長との奇跡の出会いなどの
詳しくはPINO兄ぃがブログにいっぱ~い書いているので、
楽しい記事の方は兄ぃに譲りまぁ~す(笑)
では、ボクはクソ面白くも無い遺構の事をば・・・(笑)
☆湯山城(湯本城)☆
築城者:浮田平右衛門盛重(宇喜多氏)
標高:480m 現存遺構:10段の郭群、3重の堀切
湯本城は日本城郭大系にも記載されているので、
マイナーなお城では無いのですが、
整備は全くされていない所なので、
道と言う道なんてのも無いだろうから、直登ONLYで、かつ
もうこの時期は猛烈なブッシュ地獄だろうと
覚悟は決めていたんですが・・・
いや、ブッシュ地獄は意外と麓の部分だけで、
ただ急峻な斜面と言うのが際立った印象でした。
左)こんな感じの斜面を直登しました~
中)この石積みたいなのは何だ!?
右)大系の縄張図には無かったんですが、切岸の下に帯郭みたいなのが。ナニコレ?
主郭とおぼしき所にて。
左)トシ元帥と尼子 右)PINO兄ぃと尼子
だけど、ボクは先週から呑みまくってたせいか、
50m程登ったあたりで、体力が尽きて死にそうでした(笑)
☆田井城(田井堡)☆
在城者:美甘助右衛門(三浦氏)
現存遺構:郭群
さほど比高も高く無く登りやすい城址でした。
でもね~。
は~い。軽ぅく藪漕ぎが始まりましたヨ!!
これでこそ、夏の遺構巡りの醍醐味っすね(笑)
遺構はソコソコ残っているらしいのですが、
(肉眼では竪堀なんかは確認出来たんだけど、写真じゃわかんない(笑))
田井城の遺構に関する文献を、
ボクは持って無いので予備知識もないし、
ぶっちゃけ、下草が多すぎて何のこっちゃ解んなかったです(笑)
左)二の郭の削平地より主郭部を望む
中)主郭部の削平地
右)二の郭より二段の帯郭らしき遺構
☆飯山城☆
在城者:安藝盛重 [杉原盛重か?](毛利氏)
遺構:郭、礎石、空堀(美作古城史より)
日本城郭体系にも詳細不明とのみ記載されており、
美作古城史も安藝盛重の謂れや古文献(覚書)の事のみしか記述されておらず、
城の遺構については、城の礎石空堀等も現存し~とのみあって詳細は不明。
最早、湯原観光協会のツジ理事の知識と勘のみが頼りの城址踏査(笑)
ついに来ました。
覚悟はしていたブッシュ地獄。
そして到る所に張り巡らされたクモの巣。
さっきの二城とも道なんて文明の産物は無かったけど、
ここはもっと酷かった(笑)
エグイ。道が無いなんて次元じゃなく、
ひたすら直登・直登・直登・藪漕ぎ・藪漕ぎ・藪…(笑)
おまけにめっちゃ急峻!
左)主郭か?w
中)帯郭か?ww
右)これ堀切か??唯の谷じゃないのか?www
藪と下草が酷過ぎて最早何が何だか解んなくて、
もう想像の域です(笑)
オマケに、ここでプチ遭難しちゃいました。
詳しくは兄ぃに譲りますが、漸く山を降りれたのは良いものの
道も無く、目の前にあるのは急な山の斜面と川(笑)
橋なんてある訳もなく、そのまま延々とリバートレッキング(笑)
最後に湯原温泉で疲れた体を癒し、
蒜山焼きそばを堪能して、後ろ髪を引かれる思いで帰阪。
ああああ!!!
めっさ楽しかった~~~~~~~~!!!!!
最後に、元帥、兄ぃはもとより、
今回の湯原の古城祉探索はツジ理事のお陰で、
こんなにも素晴らしく、かつ貴重な体験ができました。
そして、昼食においしいお蕎麦だけでなく、
最後の温泉までも御馳走に預かり、
とても嬉しかったです!!!
本当に本当にありがとうございました!!!!!
感謝感謝です!!!
次回はボクに彼女が出来たら、
必ず泊りに行きますね!!!!
旨い魚が喰いたくて米子の兄ぃことPINO兄に
連絡したんだけど、やはり山に行きたくなって、
ダイナミックに変更してもらいました!(笑)
本日のメンバー(笑) LtoR
トシ元帥、ツジ理事、尼子、PINO兄ぃ
本日の詳細な行程やツジ理事長との奇跡の出会いなどの
詳しくはPINO兄ぃがブログにいっぱ~い書いているので、
楽しい記事の方は兄ぃに譲りまぁ~す(笑)
では、ボクはクソ面白くも無い遺構の事をば・・・(笑)
☆湯山城(湯本城)☆
築城者:浮田平右衛門盛重(宇喜多氏)
標高:480m 現存遺構:10段の郭群、3重の堀切
湯本城は日本城郭大系にも記載されているので、
マイナーなお城では無いのですが、
整備は全くされていない所なので、
道と言う道なんてのも無いだろうから、直登ONLYで、かつ
もうこの時期は猛烈なブッシュ地獄だろうと
覚悟は決めていたんですが・・・
いや、ブッシュ地獄は意外と麓の部分だけで、
ただ急峻な斜面と言うのが際立った印象でした。
左)こんな感じの斜面を直登しました~
中)この石積みたいなのは何だ!?
右)大系の縄張図には無かったんですが、切岸の下に帯郭みたいなのが。ナニコレ?
主郭とおぼしき所にて。
左)トシ元帥と尼子 右)PINO兄ぃと尼子
だけど、ボクは先週から呑みまくってたせいか、
50m程登ったあたりで、体力が尽きて死にそうでした(笑)
☆田井城(田井堡)☆
在城者:美甘助右衛門(三浦氏)
現存遺構:郭群
さほど比高も高く無く登りやすい城址でした。
でもね~。
は~い。軽ぅく藪漕ぎが始まりましたヨ!!
これでこそ、夏の遺構巡りの醍醐味っすね(笑)
遺構はソコソコ残っているらしいのですが、
(肉眼では竪堀なんかは確認出来たんだけど、写真じゃわかんない(笑))
田井城の遺構に関する文献を、
ボクは持って無いので予備知識もないし、
ぶっちゃけ、下草が多すぎて何のこっちゃ解んなかったです(笑)
左)二の郭の削平地より主郭部を望む
中)主郭部の削平地
右)二の郭より二段の帯郭らしき遺構
☆飯山城☆
在城者:安藝盛重 [杉原盛重か?](毛利氏)
遺構:郭、礎石、空堀(美作古城史より)
日本城郭体系にも詳細不明とのみ記載されており、
美作古城史も安藝盛重の謂れや古文献(覚書)の事のみしか記述されておらず、
城の遺構については、城の礎石空堀等も現存し~とのみあって詳細は不明。
最早、湯原観光協会のツジ理事の知識と勘のみが頼りの城址踏査(笑)
ついに来ました。
覚悟はしていたブッシュ地獄。
そして到る所に張り巡らされたクモの巣。
さっきの二城とも道なんて文明の産物は無かったけど、
ここはもっと酷かった(笑)
エグイ。道が無いなんて次元じゃなく、
ひたすら直登・直登・直登・藪漕ぎ・藪漕ぎ・藪…(笑)
おまけにめっちゃ急峻!
左)主郭か?w
中)帯郭か?ww
右)これ堀切か??唯の谷じゃないのか?www
藪と下草が酷過ぎて最早何が何だか解んなくて、
もう想像の域です(笑)
オマケに、ここでプチ遭難しちゃいました。
詳しくは兄ぃに譲りますが、漸く山を降りれたのは良いものの
道も無く、目の前にあるのは急な山の斜面と川(笑)
橋なんてある訳もなく、そのまま延々とリバートレッキング(笑)
最後に湯原温泉で疲れた体を癒し、
蒜山焼きそばを堪能して、後ろ髪を引かれる思いで帰阪。
ああああ!!!
めっさ楽しかった~~~~~~~~!!!!!
最後に、元帥、兄ぃはもとより、
今回の湯原の古城祉探索はツジ理事のお陰で、
こんなにも素晴らしく、かつ貴重な体験ができました。
そして、昼食においしいお蕎麦だけでなく、
最後の温泉までも御馳走に預かり、
とても嬉しかったです!!!
本当に本当にありがとうございました!!!!!
感謝感謝です!!!
次回はボクに彼女が出来たら、
必ず泊りに行きますね!!!!
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自己紹介
俗名:
あまこ
没後:
本年で 531 回忌を迎えました
性別:
非公開って事はオカマか?
没年:
1492/11/29
生業:
悪代官
世を忍ぶ性癖:
城址探訪(登山)・読書・沐浴・読経・写経
鉄道系(旅鉄、乗り鉄)・そして、バンドなど色々デス
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