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お正月にひょんな事で、僕が尊敬してやまない英雄、
石破茂防衛大臣にお会いする事が出来ました。
その時は、もう頭が真っ白になって体中ガクガク震えて、
握手して下さった時には、動悸も激しく、伝えたい事もロクに
言えず、ただただ不審極まりない動きをしていたと思います。
良くもまぁ、SPに撃ち殺されなかったものだと思います(笑)
兎に角、上記の様な恥ずかしい状態に陥っていましたが、
先生とお別れした後に、ふと今の日本について、特に愛国とは
なんぞやと一人で思いをめぐらせてみました。
祖父母の時代を含め、それ以前の日本人は最高にカッコいいと思う。
現代人が忘却してしまった、決して棄ててはならないココロがそこにあった。
我々はもっと自国や歴史に誇りを持たねばならない。
悲しいかなわが民族は、今や世界中の人々に軽視にされてしまっている。
何故か!?
それは、自国に対して愛情(愛国心)や誇りを持てない人間が多すぎるからだ。
正直なところ、僕も愛国心と言われてもすぐにはピンとは来ない。
しかし、日本の歴史は大好きであるし、他の国の歴史と比べても遜色もない。
それ以上に誇れるものだとも思う。
また、日本独自の風俗や文化的な部分においても、変な意味ではなく優れていると思う。
僕は無学なので、アホか?と言われるかも知れないが、これも愛国心なのでは?と思う。
あと、オリンピックやサッカーの試合とかでも日本を応援し、試合に勝てば何故か嬉しくなるのも、
負ければ悔しい思いをするのも、一つの愛国心だと思う。
一部の人は、日本の歴史は語ること自体罪であると言う。
愛国心と言う言葉は日本人が語るのはタブーだと言う風潮もある。
本当にそうであろうか?
確かに、大東亜戦争の時代はごく一部の陸軍の暴走から、ついに残念な結末を迎える事となってしまった。
しかし、この部分ダケを取り上げて、全てが汚点だったと考えるのはどうであろうか?
また、これをタブー視するのもどうであろうか?
いつまでも、反省と謝罪をする必要があるのであろうか?
歴史を汚点だと捉えるのは何故であろうか?
何故自虐的な日本観しか持てないのであろうか?
「学校教育のせいだ!」と言う人も多いが、それだけではないと思う。
全てを鵜呑みにして、自分での思想や意見を持とうとしないからではないのか?
明治の日本は生活は貧しかったが、心は輝いてた時代。
その心を日本人なら忘れてはならないと思う。
明治から僅か100年足らずでここまで、ダメになってしまうとは....
我々日本人は根底から意識を変えねば...
いや、日本古来からの魂を取り戻さねば...
このままでは完全にダメになってしまうのではないか?と心配する今日この頃です。
※ ちなみに僕は右翼とかではありません。フツーの32歳の日本人です。
これを当日の12時待ち合わせで買いに行こうという話になり、
本当に行く事になりました。
以外にもUちゃんも行く気満々だったのですが、
僕はかなり泥酔していたので朝起きれるかカナリ不安だったのですが・・・
案の定、僕は起きれませんでした・・・・
携帯の着信を見ると、Uちゃんからも匠からも着信がありました!!
ぎゃーーーーー!!!!
僕も是非に行きたかったので直ぐに用意をして出陣する事に。
もちろん風呂には入ってないので、頭はフケと油まみれ(昨日焼肉だったので)と言う最悪な
ルックスで見るも無残でしたが・・(笑)
で、このいもけんぴ、正式名称は「芋棒ポテト」と言うそうで、
一風変わった芋菓子で、見た目とは裏腹にくどい甘さも無く
あっさりとしていて予想以上に美味しかったのです。
(これを書いている時点で既に一箱食べちゃいました(笑))
大阪に長年住んでいながら、全然知らなかった・・・
この店の直ぐ近くにある熱帯魚屋には良く行っていたので、
お店の存在には気がついていたのに・・・
やっぱり、何においても、"縁"って言うのがあるんですね~。
で、そうこう匠とUちゃんと話をしているうちに、
僕も岡山に行きたく(帰りたく)なっちゃいました。
で、本当に岡山に帰って来ちゃった!(笑)
先日の宴席にて匠の話に出てきた美味しい店
にマジで連れて行ってもらう事になりました。
何か、食べて飲んでばっかりの週末で嬉しいなぁ~(笑)
まずは、岡山駅西口の「偑琳」の餃子。
皮が薄くて下味も絶妙。
タレが無くてもめっさ美味しかった。
余りにも旨過ぎたので一人で3人前も食べちゃった(笑)
その後、休む暇も無くうどん屋「ぼっこう」へ。
ここも、大阪では味わえないダシのうどんで、
(ダシに色が無い!て言っても、透明ではないけど)
あっさりとしている中にしっかりとした味がついていて
これも本当に美味しかった。
ここで、もうオナカは腹十分目を超えてしまいました。
こんな、満腹感を感じたのは久方ぶりです。
しかも、地元の人でしか知らないような穴場の店を教えて貰えて良かった~。
で、そうこうしているうちに匠とお別れとなりました。
本当に楽しかったです。
O社長、ありがとうございました!
そして、ご馳走様でした!
匠と別れてからは、一路、故郷の作州へと車を進めました。
ガラガラの岡山道を1時間ほど爆走して、あっという間に宿に到着。
そして、一息ついて、今これを書いている真っ最中です。
明日は、いよいよ山に登るぞ~~~!!
では、おやすみなさい。
尼子です。
金曜日に仕事で岡山のO社長が来阪されました。
しかし、この社長(別名:匠)がとてもヤバイ(素敵って意味)のです。
実は、バンド(モノノフ)でDrを叩いて貰っているE氏と親交が深かった方で、
たまたまスタジオで知り合ったのが先月の終わり頃。
その翌日に一緒に飲みに行ってから、匠の数々のトークや人柄に心酔
しきってしまい(心酔なんてお師匠(イオのN社長)以外に感じたことも無かったですが・・・)
またの再会を誓ったのですが、まさかこんなに早く会えるとは!!
で、仕事の打ち合わせの後、スタジオに一緒に行きました。
元々ベーシストだった匠は、Uちゃん(作州屋の専務 兼 モノノフのベーシスト)のアンプのセッティング
をムツカシイ顔をしながらひたすらイジリ倒しておりました。
やっぱり、血が騒ぐのでしょうか(笑)
そして!
待望の飲みがやってまいりました。
メンバーは匠、Uちゃん、アパッチ君と僕の4人。
一軒目は尼崎で焼肉。
23時に店に入ってから、延々と翌2時前までトークに華が咲き、
その後、宗右衛門町のキャバクラで1時間。
そして、つるとんたん(うどん屋)で1時間位までと言う
案の定、朝までコースとなってしまいました。
(って言うか、そういう方向に持っていったのですが・・・)
でも、この話はコレで終わらなかったのです。
つづく
仕事の合間を縫って、天橋立へ行ってきました。
土曜日の22時前に、行きたい!
と思い立ってそのまま車でぶっ飛ばして
天橋立に着いたのが午前1時。
しかし、ホテルが無い!!
ナビに出てくるところ全て満室or営業終了で泊まれない!!!(笑)
困り果てて、警察署に聞きに行く事に。
やっぱ、地方のおまわりさんは優しいね!
何と、言ってもいないのに、ペンションに電話&値段交渉までしてくれて、
宿をとってくれました。
この親切は、ほんとに嬉しかった~~。
で、翌日。
土曜日の晴天が嘘の様に大雨。
しかも、大雨洪水警報?が出ていたようでした。
マジで最悪。日本三景でなく、二奔惨景でした。
雨で外に出たら、びしょびしょに・・・
こんなんじゃ、車から出る気しないよ・・・
おまけに終始車窓は霧と言うか、靄っぽいし。
だったので、気分を変えて、図書館で調べ物!
で、丹後と言えば、ボクの一番の興味ある人物「一色二郎信康公」
南条先生の「無残や二郎信康」の主人公!
ついに、調べる時がきた様です!・・・
古城祉情報の収穫は大きかったですが、
しかし、肝心の公の詳細どころか、
実在していたのかも掴めず。
ひょっとして、架空の存在なのでしょうか???(泣)
ていうか、東大の南葵文庫に調べに行くしかないのかなぁ・・・
ボクは一体何しに丹後くんだりまで行ったんだろ・・・
しかし、最後に神様は愚かなボクに祝福を与えて下さいました。
舞鶴で最高に美味しいお鮨を食べれました。
値段はどこにも全く書いてありませんでした。
でも、まぁ大丈夫やろう!とタカをくくっておりましたが、
不覚ながら、会計の時に額面を見て久々に「うをっ!」て唸りました。
「高かろう、旨かろう」って事でしょうか・・・(苦笑)
そう言えば、時価の寿司屋って最近見ないですね~(笑)
辛うじて寄れた吉原山城
(雨が激しくなり、結局登山できず・・・無念)
鉄道系(旅鉄、乗り鉄)・そして、バンドなど色々デス
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